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東京地方裁判所 昭和29年(モ)15312号 判決

債権者 日新産業株式会社

債務者 河上益夫 外一名

主文

当裁判所が、昭和二十九年(ヨ)第一、三五七号営業妨害禁止仮処分申請事件について、同年二月二十五日した仮処分決定は、取り消す。

本件仮処分申請は、却下する。

訴訟費用は、債権者の負担とする。

この判決は、第一項に限り、仮に、執行することができる。

事実

第一当事者の主張

一  債権者の主張

(申立)

債権者訴訟代理人は、主文第一項掲記の仮処分決定は認可するとの判決を求め、その理由として、次のとおり、陳述した。

(理由)

(一) 債権者は、清罐剤その他化学薬品類の製造、販売を業とするものであり、債務者等は、固型清罐剤の製造方法について、第二〇二、五六〇号をもつて登録された特許権を有するものである。

(二) しかして、右特許権は、既に、その出願中第三者から異議申立があつた程で、本来無効となるべきものであつたから、債権者は同業者等と、これが無効審判の申立を準備しているが。債権者の前記清罐剤の製造方法は、「燐酸及びタンニン酸を燐酸曹達の存在の下で、互に反応させて得た生成物に、澱粉浮遊液と炭酸曹達を加えて、糊化したものを混和して、湿潤性の顆粒を作り、これを粉砕機にかけて粉砕するとともに、余分の水分を飛散させ、次に自動型打機で成型したのち、蒸気処理を行い安定化した固型清罐剤(以下単に本件清罐剤という。)」であつて、もともと債務者等の有する前記特許権の権利範囲に属しないものである。

(三) しかして、債務者は、昭和二十八年六月から二回にわたつて、日本国有鉄道に本件清罐剤を納入し、更に、同二十九年二月二十二日右国有鉄道の清罐剤の入札においてこれを落札し、同年三月一日までに納入することになつていたところ、債務者等はこの納入の妨害を企て、前記国有鉄道に対し、債権者の本件清罐剤の製造方法が債務者等の有する前記特許権にてい触する旨の申入れをするなどし、債権者の営業を妨害している。これは明らかに債権者の営業権を侵害するものである。

(四) 仮に、右の主張が理由ないとしても、債権者は本件清罐剤製造方法の発明者であつて、しかも、債権者の製造方法は、債務者等の有する前記特許権の権利範囲に属するものではないから債権者は、これについて特許登録の出願をし得るのは当然であるばかりでなく、その出願前といえども、その発明にかかる製造方法を自由に行使、収益する権能を有するものであるから、これに対して侵害を受ける場合には、その侵害を予防する権原を有するものである。

(五) 以上いずれも理由がないとしても、償権者がその発明にかかる本件清罐剤の製造方法に基いて製造した固型清罐剤は、債権者の所有に属するものであるから、債権者は、その所有権に基いて、これに対する侵害の予防を求め得るものである。

(六) よつて、債権者は第一次に営業権に予備的に発明権及び所有権に基いて、債務者等に対し、妨害予防の訴を提起するに先き立ち、債務者等による妨害のため、前記納期日を徒過し、ために債権者が、企業の倒潰という回復することのできない著しい損害を蒙るおそれがあつたので、東京地方裁判所に対し、本件仮処分を申請し(昭和二十九年(ヨ)第一、三五七号)、同年二月二十五日「債務者等は、債権者が前記製造方法によつて製造する本件清罐剤の製造、販売行為を、実力をもつて妨害してはならない。」旨の仮処分決定を得たが、右決定は、相当であつて、いまなお、維持する必要があるから、その認可を求める。

二  債務者等の主張

(申立)

債務者等訴訟代理人は、主文第一、二項同旨の判決を求め、その理由として、次のとおり、陳述した。

(理由)

債権者の主張する事実のうち、債権者が清罐剤その他化学薬品類の製造、販売を業とするものであること、債務者等が債権者の主張する特許権を有すること、日本国有鉄道における清罐剤の入札納入期日が債権者の主張するとおりであつたこと及び債務者等が右国有鉄道に対して債権者の主張するような申入れをしたことはいずれも認めるが、本件清罐剤の製造方法が債務者等の有する特許権の権利範囲に属しないとの債権者の主張事実は否認する。その余の事実は知らない。なお、

(一) 債権者は、本件仮処分によつて保全さるべき権利を有しない。すなわち、

(イ) わが現行法上営業権という権利は存在しない。したがつて、営業権侵害というようなことは、あり得ない。

(ロ) 本件清罐剤のの製造方法は、債務者等の有する前記特許権の権利範囲に属するものであるが、債権者は、これについて実施権を有しない。仮に、本件清罐剤の製造方法が債務者等の右特許権にてい触しないとしても、債権者は、右製造方法について特許権を有しないものであるから、その侵害について妨害予防請求権を有しない。

(二) 債権者は、日本国有鉄道に対し、前記納入期日に無事本件清罐剤の納入を終えたものであるから、現在、本件仮処分を維持する必要は存しない。

以上のとおり、債権者の本件仮処分申請は、被保全権利及び保全の必要性を欠くから、失当として、却下さるべきものである。

第二疏明〈省略〉

理由

一  まず、本件仮処分によつて保全さるべき権利の有無について判断するに、

(一)  債権者は、まず、その営業権に基いて妨害の予防を主張する。しかし、営業とは、主観的には商人が営利の目的をもつてする反覆、継続的活動、すなわち営業的活動を意味するが通常は、客観的意味におけるところの一定の営利的事業のための組織的財産の全体、すなわち企業を指すものと解される。しかして、企業は、もともと経済的独立性を有するものであるから、譲渡、賃貸借のように、一体として、債権的行為の目的となり得るものではあるが、企業自体ないしは営業的活動の全体をもつて、法律上一個のものとは認められていないから、営業についての権利、すなわち営業権という一個の総活的な権利は存しないものと解するが相当である。従つて、企業を構成する個々の物についての個別的権利を主張するは格別、いうところの営業権に基いて直接第三者である債務者等に対し、その妨害の予防を請求する債権者の右主張は、許されないものといわなければならない。

(二)  次に、債権者の発明権に対する侵害予防の主張について考えるに、発明権は、特許請求権とともに、「特許ヲ受ケル権利」の一態様であり、発明者がみずからの発明を自由に利用したり、あるいはこれを他に譲渡し得ること等を内容とする実体上の権利であるが、本件のように、いわゆる「方法の特許」において、特許権者の有する製造方法の使用、その方法によつて製作した物の使用、販売及び拡布を専有するところの権利は、その発明にかかる製造方法の特許を出願公告することによつて始めて発生するところのものであるから(特許法第七十三条第三項、第三十五条参照)これが侵害排除の権利も、特別の規定(特許法第十条、第十一条第五十七条第一項第二号等)による場合を除き、特許出願公告前においては、存しないものと解さなけれならない。従つて、特許出願公告のあつたことについて主張も疏明もない本件においては、発明権なるものに基きこれに対する侵害の予防を求める旨の債権者の前掲主張は、理由がない。

(三)  更に、債権者は、本件清罐剤の製造方法によつて製作した固型清罐剤の所有権を主張するが、仮に、右製造方法が、債務者等の有する特許権にてい触しないとしても、債権者の主張及び疏明によつては、所有権の客体である固型清罐剤が全く特定していないし、将来製造する物に関する所有権、換言すれば、製造されたのちでなければ発生しない所有権に基いてその物の製造そのものに対する妨害を予防するなどというようなことは、論理上全く考えられないことであるから、債権者の右主張は、とうてい採用するわけにゆかない。

二  以上のとおり、本件仮処分における被保全権利の存在は、必ずしも明確であるといい得ないばかりでなく、日本国有鉄道に対する本件清罐剤がその納入期日に無事納入されたことは、債権者の明らかに争はないところであり、今後その納入ないしは製造販売が妨害され、したがつて、債権者が回復することのできない損害を蒙る虞のあることについては、明確な疏明はないから、保全の必要性もまた、明らかとはいえない。

三  したがつて、債権者の本件仮処分申請は、請求及び理由についての疏明を欠くことになり、もとより保証をもつて、これに代えることも適当とは認められないから、これを却下するほかはない。よつて、これを認容してした主文第一項掲記の仮処分決定は取り消すこととし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八十九条、仮執行の宣言について同法第百九十六条を適用し、主文のとおり、判決する。

(裁判官 三宅正雄 吉江清景 長久保武)

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